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おじいちゃん、ありがとう! 

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 写真:雪をまとった梅のつぼみ、おじいちゃんへの手紙、甥っ子NO.3






一週間ぶりの更新です。
やっと家に帰ってきました。






2月9日の夜中、祖父が他界しました。
子供達に見守られ、静かに、眠るように亡くなったようです。





前日に病院に行った時には、外を歩いて冷たくなってしまった私の手を
おじいちゃんのあったかい手で温めてもらったのに。





布団の上で白い布をかけられたおじいちゃんは、冷え切っていました。
当たり前だけど、全然動かない。生気がない。
まさに「抜け殻」。
背中にチャックがついてておじいちゃんの「魂」がスルリと抜けていったみたいです。
そう思った瞬間に周りの家族の顔を見たら
「魂に仮面をかぶせている動体」というとらえ方で見えてきました。






2年間の病院生活をしているので家族も親戚もみんな覚悟はしていたけど、
いざ亡くなるとその存在の大きさに気付かされます。
子供5人、孫9人、ひ孫3人にいのちをつないでくれて、
大家族を作ってくれました。
その一人ひとりの中におじいちゃんが生きています。





ひ孫にあたる私の甥っ子たちは(5歳、3歳、1歳)
おじいちゃんが亡くなったことをどう理解するんだろうと見ていたら

「どうして動かないの?」
「(お棺を)なんで閉めちゃうの?かわいそうだよ・・・」
「(泣きながら)淋しいよ~」


と、5歳の甥っ子が言ってました。
子供は小さくても状況をみて、大人の顔をみて、
鋭く観察しているなと感心しました。





5月で2歳になる三番目の子は
おじいちゃんが倒れてから2ヶ月後に生まれました。
亡くなる1週間前に病院に行った時、この子を見て笑ったそうです。
「じーちゃん、あいがと。あいがと。ばいばい!」
と言って手をふっていました。
おじいちゃんへの手紙には本人が大好きなアンパンマンを書いてもらってました。






亡くなってから知ることも多くありました。


 一人っ子で養子だったこと
 45歳で両親・妻を亡くし、一人で5人の子供を育てたこと
 いろんな人にお金を貸して助けてあげていたこと
 ・・・・・・




おじいちゃんの歴史が色んな形で残されていました。
そしてそれはおじいちゃんの日常の積み重ねであり、
その延長線上に死も訪れたわけで、
死が日常の流れの一こまだってことを感じました。






うちの実家もそうですが祖父が住んでいた地域でも「組(くみ)」という制度があり、
隣近所の人たちが冠婚葬祭などの行事にお互いが助け合うシステムがあります。
祖父の逝去を知らせると、さっそく組の人たちが集まってくれました。





お寺の手続き、火葬場手配、近所への連絡・・・
しきたりに従って色々作業をこなしてくれます。





通夜や葬儀には行ったことはありますが、関わったことはもう一人の祖父の時
(20年前)なので、子供としての記憶しかありません。
うちは父も母も比較的宗教色の弱い家庭なので冠婚祭は神社、葬式は寺という
よく考えると不思議だけどありがちな形式をとっています。
葬に関してはよく分からないことやブラックボックスばかりなので、
勉強とおじいちゃん供養のつもりで色々と手伝いました。






お寺に行った組の人たちが、お布施の額を聞いてきてくれました。
それが予想していた通常の額の半分くらいだったので、家族がビックリ。


「初めに○○万って言われたんだけどよ~
 △△万にしてもらってきた。

 よっちゃん(祖父)はずっと一人暮らしだっただろ。
 しかも年金生活で、最後は入院までしちゃって。

 そんなに払える余裕はない!って坊さんに言ってやったんだ。
 そしたらむこうも△△万でいいってさ。」





おじいちゃんは近所の人たちにと仲良しだったんだな~と感じました。


「よっちゃん、しばらくだね(おひさしぶりだね)。
 こんなにやせちゃって。かわいそうにな~
 でも髪の毛ははげてないな。おれより黒いよ!はっはっは!」



なんて言われて近所の人たちと久々に対面したおじいちゃん。
私は初めて会う人たちばかりですが、
母のことも「ゆきえちゃん」と呼ぶ組の人たちになんだか親近感が沸きました。






通夜の日、続々と親戚が集まってきました。
初めていとこが全員揃いました。
昔話から今何してる?って話、仕事、勉強、結婚の話まで大盛り上がり!
もちろん、おじいちゃんのお陰です。

 




お棺にはいとこ全員(おじいちゃんからすれば孫)と
姉の子供(ひ孫)が書いた手紙を入れました。


 「じいちゃんに負けない立派な男になります!」
 「今までありがとう。今度は雲の上から見守っててね。」
 ・・・



などなど、それぞれの思いを書きました。





何をかこうかな?と思っていたら、母が
  「書いてもらいたいことがあるの。」
と言い出しました。


 私:「いいよ、何て書く?」

 母:「『黄泉の国でみんなに会えたら、雨を降らせて教えてね』って書いて。」

 私:「みんなって、誰?」

 母:「お母さんのお母さんとか、おじいちゃんの両親とか、お友達とか・・・
    とにかく、おじいちゃんが死んでまで一人で淋しい思いをしているのは嫌だから
    黄泉の国かどこか分からないけど、
    おじいちゃんが家族や友達に会えることを願っているの。
    雨が降ったらおじいちゃんがみんなに会えたって分かって、安心するでしょ。」







母がおじいちゃんに託した最後のお願いでした。






お棺に入れられる時、
お棺をくぎで閉められる時、
火葬場に入る時、
母は誰よりも声を上げて泣いていました。
おじいちゃんを看病している母をずっと支えてきた父も泣いています。
それを見て、私の涙も止まりませんでした。
私はあんなに泣いている母を見たのは初めてでした。






今日は雨です。
おじいちゃん、みんなに会えたんだね!!!
母も安心していると思います。





コメント

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りやえのさん

温かなコメント、ありがとうございます!

りやえのさんのおばあさま、苦労なさったのですね。
自分を育ててくれて92年の生涯を生きたおばあさまの最期は、本当に立派なものですね。

人生の幕引きにはそれまでの行いが反映されているとか、運命で決まってるとか、色々と説をくっつけたくなりますが、祖父は何を感じて・思って最期を過ごしたのかは私の想像をはるかに超えるところにあるような気がします。

でもりやえのさんがおっしゃる通り、人の死は最高の学びの場でした。

内省の場であり、周りへの感謝の場であり、人間修行の場であり、そして日常というものの中にとてつもない縁のつながりがあって自分もあらゆるものも存在しうるということを感じたりしました。

祖父が病院に入ってからの2年間と祖父の死を経験して、「マクロビオティック」という言葉を通して学ぶ感謝や人生観とは少し違ったもっと骨に響くような感覚を教えてもらった、そんな気がします。

お悔やみのお言葉、本当にありがとうございました。

まきちゃん

おじいちゃんお亡くなりになったんだね。
私も一昨年おじいちゃん亡くなったばかりだから、その記憶と重ね合わせて読んでいました。

まきちゃんのお母さんすごく素敵だね。
これからはまきちゃんの心の中でずっとおじいちゃんが見守っていてくれるよね。

にっちさん

コメントありがとうございます。

にっちのおじいちゃんも最近亡くなったんだね。
家族の死って本当に悲しいけど、家族を集めてくれるっていうか絆を強めてくれる気がします。

母の発言にはたまに驚かされていますが(笑)、今回の母は「私の母」というより「おじいちゃんの子供」という感じでした。

心温まるコメントをありがとう!

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atsukoさん

コメントありがとうございます!

一人暮らしだった祖父は、最期の2年にたくさん家族と親戚に会うことができました。
自分がつないだ命と触れ合って、まさに大往生を迎えたと思います。

温子さんのおじいさまは手記を残されているんですね。
知らなかったこともたくさんあることと思います。
孫に自分の記録を残してもらって、おじいさまも喜んでいることでしょう。

15日、一日中雨でした。
おじいちゃんがこれでもかっていうくらい降らせてくれたんだと思っています。

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